2011年6月27日月曜日

方法についてのあれこれ




 6.11脱原発のデモについて、直後にメモしておいた「こういうところ、変えたほうがいいんじゃないか」というのをUPしてみます。
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 40年ぶりにデモに参加したニンゲンとして、私は「やり方の違いって、大きいよね~」という事をすごく感じました。
 2万人を動員した新宿版と3000人の横浜版、数百人の鎌倉版、それぞれの立地条件を考えれば当然と言える違いなのですが、やっぱり新宿版の「イベントとしての完成度」は高かったと思います。
 でも、それはもしかしたら、イベント関連や音楽関連の仕事をしている人が多く主催グループにいたかどうかの違いかもしれませんし、シロートの集まりでは人集めの技術に限界があるのは当然だと思います。
 そこで、シロートの私たちにもできる事は・・・、と考えてみると、「原発を止めたいという気持ちを共有している自分たちの感覚ではなく、漠然とデモを見物している市民の気持ちを想像してみる。」事だと思います。
 まずシュプレヒコールですが、リズミカルで言葉がはっきりと聞こえて、分かりやすいものでなくては逆効果だと思います。そういう点で、横浜版の「エネルギー・シフト・ナウ!」っていうのはちょっとどうかと思いました。日本語でもなく、英語でもなく・・・・・流行語なんでしょうか。私はデモのビデオで初めて聞いて、意図するところは何とか分かりましたけど、迫力とか熱意とかはぜんぜん感じませんでした。日本語で「原発止めろー!」でいいのに、わざわざあんなヘナヘナッとしてしまうような外来語を使うのはヘタだと思います。日本人が聞いてもよく分からないし、英語圏の人が聞いたらもっと分からないと思います。
 また、当日聞いたのでは「東電解体!」というのもありました。東電を国有化しろという意味だと思いますけど、そいういうのは普段から一緒に勉強会とか集会とかをやっている人たちの集まったデモだったら唱和できるけど、自由参加の「ゆるい」デモではすぐには何のことか分からない人が多そうだし、同調できない人もいそうなテーマなので、やめておいたほうがいいと思います。
 
 デモというのは人の気持ちに働きかけるためのものなので、「なんとなく」言葉を発するのは絶対にやめて、よく計算した言葉を発するようにアタマを使うべきだと思います。「やらないほうがマシ」なデモになってしまうのは案外カンタンなような気がします。ちょっと怖いですね。でも、やらなくっちゃ・・・。

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 新宿版に参加された柄谷行人さんが「サウンドデモには違和感を感じたが、そういうことは差し置いて、60年安保以来のデモをした」というような事をおっしゃったそうです。
 確かに、あのクラブ風というか何と言うか、ドンドコドンドコみたいなノリの単調なサウンドと繰り返しの多い退屈な歌詞の音楽に親しみを感じる人って、あまり多くなさそうな気はします。(私も、あれはキライです。踊りはタコ踊りに見えるし・・・)
 でも、何はともあれ、アレコレを差し置いて、ともかく行動しなくちゃというのが、40年前、50年前に党派闘争にかまけてグダグダになってしまったオトナたちの今の気持ちなのだと思います。

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