2010年3月18日木曜日
2010年3月16日火曜日
戦前のアメリカの歌手、いいな~~。
最近、You Tubeからの抜粋ばかりですけど・・・。
アン・シェルトン。1940年代ぐらいに活躍したアメリカの歌手のようです。第2次世界大戦前から戦争中にかけてのアメリカですね。
この歌唱は最高!だと思います。
今日はあともう一つ、大好きなジョー・スタッフォードの絶唱!をご紹介ィ~!
2010年3月2日火曜日
ウ~ン、ディーン・マーチン!
久しぶりの投稿です。
近頃はもっぱら、YouTubeで1940年代のアメリカのポップスを漁っています。
YouTube、すごいですね~!スタンダードナンバーの聴き比べが自由自在!毎日のように新たな「ひいき」を発見している状態です。
ディーン・マーティンって、私が子供の頃はよく兵隊さんの格好をして、フランク・シナトラと一緒に映画に出ていました。人のよさそうなハンサム顔で、子供心にも「この人が一番好き」と思っていましたけど、歌手としては別にあまり興味はありませんでした。
でも、今になって、このYouTubeの「思い出のサンフランシスコ」を聞いてカンゲキィ~!
どこかのクラブでのライブ録音らしく、司会者が「ダイレクト フロム ザ バー」と紹介しているとおり、バーの椅子から立ち上がってそのままステージまで歩いてきたような様子です。実際かなり酔っ払っているみたいですけど、シナトラより断然うまい!しかも繊細!トボケたジョークも程よく品があって、まったくホントに傑作ライブだと思います。
わたしは、ジャズとブルースにはこういう「いいかげんさ」が必要なんじゃないかと思っています。どうしてだか分かりませんけど。
2010年2月4日木曜日
お宝映像発見
YouTubeでニーナ・シモンを検索していて見つけました。アニマルズの「朝日の当たる家」をニーナ・シモンが・・・。やっぱりすごい♪
映像で見ることができてよかったと思いました。
・・・で、そうか、ニーナ・シモンの映像って初めて見たんだ、わたしは!
そして考えてみると、大好きなジョー・スタッフォードやローズマリー・クルーニーやロレッツ・アレキサンドリアが歌っている映像って見たことがないし、これからもまず見ることはできないんですよね~。
なんだか寂しいです。なまじニーナ・シモンの映像を見てしまったばっかりに・・・・。
2010年1月30日土曜日
BBキング
BBキングのDVDは期待通りです。
私が物心ついた1970年代にはすでにレジェンドだったはずですので、「よくラジオで聴いていた」というわけではなくて、オトナになってジャズを聴くようになってから、ジョン・リー・フッカーとかのレコードでブルースが好きになって、「BBキング=伝説的ブルース・シンガー」ということだけは知っていたという程度なのですが、「ブルースなんてぜんぜん聴かなくなって数十年」の2010年にDVDでライブを見た感想は・・・・、「意外と英語がきれい」でした。
ところがWIKIによると「ミシシッピ出身で、プランテーションで小作人を・・・」ということです。
ふ~ん・・・。ジョン・リー・フッカーとかと比べるからかな~。
BBキング本人もですけど、ライブでバックを勤めているミュージシャンたちもみんな頭よさそうで洗練された感じです。
それはともかく、完全に「歌ってる」超絶ギターには恐れ入ってしまいました。
歌ってるというより「語ってる」というか「しゃべってる」というか・・・・、文学です。「ホロビッツみたい」と思いました。
私が物心ついた1970年代にはすでにレジェンドだったはずですので、「よくラジオで聴いていた」というわけではなくて、オトナになってジャズを聴くようになってから、ジョン・リー・フッカーとかのレコードでブルースが好きになって、「BBキング=伝説的ブルース・シンガー」ということだけは知っていたという程度なのですが、「ブルースなんてぜんぜん聴かなくなって数十年」の2010年にDVDでライブを見た感想は・・・・、「意外と英語がきれい」でした。
ところがWIKIによると「ミシシッピ出身で、プランテーションで小作人を・・・」ということです。
ふ~ん・・・。ジョン・リー・フッカーとかと比べるからかな~。
BBキング本人もですけど、ライブでバックを勤めているミュージシャンたちもみんな頭よさそうで洗練された感じです。
それはともかく、完全に「歌ってる」超絶ギターには恐れ入ってしまいました。
歌ってるというより「語ってる」というか「しゃべってる」というか・・・・、文学です。「ホロビッツみたい」と思いました。
2010年1月27日水曜日
若きエリック・バードン
エリック・バードンとジ・アニマルズの「朝日のあたる家」。
オールディーズの名曲ですね。
今日買った格安DVDの中の一枚、「Best tHits 60s」で若き日のエリックバードンがこの曲を歌っているのを見て、聴いて、なぜか泣けてしまいました、ホントに。 彼がとても若くて神経がキリキリしていて・・・・。心臓が懐かしさで一杯になってしまいました。
ほかにはドナ・サマー、BBキング、パバロッティーのライブのDVDと、美空ひばりのカバー曲集みたいなCDを買いましたので、さっそく美空ひばりも聞いてみたのですが、やっぱり私には彼女の歌のどこがいいのか全く理解できない、ということを確認する結果になっただけでした。(CDは母へのプレゼント、ということで・・・)
「天才的に歌がうまいとみんなが言う人なわけだから、私がいまひとつ好きになれないのは、彼女の持ち歌がきらいだからなのではなかろうか」と考えて、一度「アカシヤの雨がやむ時」とか「長崎は今日も雨だった」とかを彼女の歌で聴いてみたいと思ってCDを買ったんですけど・・・、やっぱりどうしても、ぜんぜん全くダメでした。
さて、今日は「Best tHits 60s」の続きを・・・・。
楽しみなのはアレサ・フランクリンで~す♪
2010年1月25日月曜日
2010年1月21日木曜日
オデッサ・ファイル
「冷戦」を「ゼロ戦」と読んでしまいました。わざとのような読み間違いですけど違います、本当でした。
そしてどうして今時「冷戦」などという単語の入った文章を読んだのかというと、昨日DVDの「オデッサ ファイル」を観て解説文を読んだからです。
そしてまたどうして1974年製作の「オデッサ・ファイル」を見たくなったのかというと、パッケージのジョン・ヴォイドの写真が素敵だったからなのですが、解説にアンジェリーナ・ジョリーが彼の実の娘だと書いてあったのにはちょっと驚きました。私のポイントオブビューからすると、「ジョン・ヴォイドって、美形じゃないところが魅力♪」ですので、それがあの超絶美女のパパだとは・・・分からないものです。
でも、映画はハリウッドではなくてロンドンで製作されたもので、主人公の恋人役もウンザリするほどの美女ではないし、悪役の元ナチスのおじさん、おじいさん達もみんな現実的な外見です。それがまた揃いも揃って演技派・・・というところがよかったです。
つまりアンジェリーナ・ジョリーは絶対に出てこないタイプの映画ということです。(いや~、それにしてもあの方がパパとは~~)
ストーリーについては、最後に主役が元ナチスの虐殺者を殺してしまうのが、ちょっとどうかと思いましたけど、さすがにフレデリック・フォーサイス、「最後に明かされる意外な事実!」も納得できるものなので、大満足の面白さです。
上の写真はその「オデッサ・ファイル」という名のファイルですが、「ファイル」と呼ばれるものが映画の撮影当時と今で、どれだけ違ってしまったかという証拠みたいなものですね。
リング綴じのふつうのノートブックに切り抜きのような写真が貼り付けてあって、文章はペンで手書き・・・・。ユダヤ人に命を狙われているナチスの残党の名簿が・・・です。
そしてどうして今時「冷戦」などという単語の入った文章を読んだのかというと、昨日DVDの「オデッサ ファイル」を観て解説文を読んだからです。
そしてまたどうして1974年製作の「オデッサ・ファイル」を見たくなったのかというと、パッケージのジョン・ヴォイドの写真が素敵だったからなのですが、解説にアンジェリーナ・ジョリーが彼の実の娘だと書いてあったのにはちょっと驚きました。私のポイントオブビューからすると、「ジョン・ヴォイドって、美形じゃないところが魅力♪」ですので、それがあの超絶美女のパパだとは・・・分からないものです。
でも、映画はハリウッドではなくてロンドンで製作されたもので、主人公の恋人役もウンザリするほどの美女ではないし、悪役の元ナチスのおじさん、おじいさん達もみんな現実的な外見です。それがまた揃いも揃って演技派・・・というところがよかったです。
つまりアンジェリーナ・ジョリーは絶対に出てこないタイプの映画ということです。(いや~、それにしてもあの方がパパとは~~)
ストーリーについては、最後に主役が元ナチスの虐殺者を殺してしまうのが、ちょっとどうかと思いましたけど、さすがにフレデリック・フォーサイス、「最後に明かされる意外な事実!」も納得できるものなので、大満足の面白さです。
上の写真はその「オデッサ・ファイル」という名のファイルですが、「ファイル」と呼ばれるものが映画の撮影当時と今で、どれだけ違ってしまったかという証拠みたいなものですね。
リング綴じのふつうのノートブックに切り抜きのような写真が貼り付けてあって、文章はペンで手書き・・・・。ユダヤ人に命を狙われているナチスの残党の名簿が・・・です。
2010年1月18日月曜日
インド紀行・続き
先日は、Ministry of Justice「ミニストリー オブ ジャスティス」 を、「ミステリー オブ ジャスティス」と読みました。
今日は「私大併願」を、「わたしのだいへいがん」と読みました。(ホントに何のことかと思いました。)
さて、「インド紀行」、読み終わって想像以上の感動です。
スジとしては、その後ジャングル探検などを終えてある町に滞在していた「余」が活動家のマンゲッシュ・ラアオ(婆羅門階級の出身)に強く惹かれて親しく付き合うのですが、ある日彼はイギリス政府ではなく同国人の婆羅門に毒殺されてしまい、「余」は故郷へ帰ることを考える・・・・というものです。
先日引用した召使のパアニヤがバラモン階級の活動家に初めて会った時の描写がかなり面白いので引用してみます。「女はようするにみんなばかだ」という意見を述べる時のパアニヤを思い出しながら読んでみてください。
音も立てず慎み深くパアニヤが茶と煙草を運んできた。彼がいとも慇懃かつ荘重にこの婆羅門に挨拶する様子を見て、余は少なからず驚いた。婆羅門は額をうつむけさへもせずに、目づかひだけで会釈を返したのである。
次はマンゲッシュ・ラアオの言葉です。長々と引用します。
「あなたが確かさといふ言葉で意味してしてをられるのは、蛇に向かつて踏み出した最後の一歩だつたのですね。」と婆羅門は云つた。「どこで生が終わりどこで死がはじまるのか、それを云つて下さることができるなら、わたしは死を説明してあげようと思ひます。その境界をあなたは植物に又は岩石に、それとも動物に求めようとなさるのですか。自然界のどこを見ても、わたしにはあらゆる老衰した形態の復活が見えます。岩石の中の結晶体の形成にまでわたしは生命を認めるのです。そして美しくもあれば思索的にも見える。さう云つた凝結の数学的な秩序の中に、わたしは自分が呼吸し運動し苦楽をなめる時の基準となるいろいろな法則が認められると思ひます。死とは吾々の五官が、その時間概念を局限されているために余儀なく設ける、漠然たる仮定です。そして吾々の意識性はどうかと云へば、吾々があらゆる生きたものの普遍性の中に包まれていればいるほど、或ひはさう感ずれば感ずるほど、死への信念は意識性にとつて益々遠いものになります。しかもなほ死は真理と同じやうなものです。つまり両方とも生きた魂のもつ他の一切の要素よりも確実に感じられ得るのですが、しかし説明されることはできません。世の中にはいつでも二種類の人間があるわけでせう。一方の人たちは死を自己の本質の義務と解しますし、他の人々はそれを自己以外の力の任意な動きと解するのですね。あなた方の教会は死を罪への報いだと教へていますが、しかしあなた方の神はそれを自発的な義務として死んだのではありませんか。」
次は「みつばちマアヤ」が楽しみです。
PS:今日の写真は2006年の今頃に撮ったものです。あの年は雪雲の残りらしいモクモクと元気のいい低い雲がしょっちゅう見られました。今年はお正月頃にちょっとそんな時期があっただけですね、今のところ・・・。
2010年1月13日水曜日
インド紀行
・・・今から足かけ四年も前に、著者から直接この「インド紀行」をぜひ日本の読者に紹介してもらひたい旨の希望を告げられた。それがこの翻訳の動機なのは云ふまでもない。ただ訳者性来の遅筆が祟って、ぐづぐづしているうちに盟邦への通信が不可能となり、今折角曲りなりにも著者の希望をみたしたのに、それを遽かに著者へ報ずるすべがなくなつたのは、大きな心残りである。
昭和18年3月に書かれた「インド紀行」の訳者による「はしがき」です。第二次世界大戦の戦況が実感できますね。
じつはまだ読み終わっていないのですが、なにしろ面白いし、あまり大ヒットしそうもない本ですので、抜書きを紹介したくなってしまいました。(でも岩波文庫の「リクエスト復刊」シリーズですので、根強い人気はあるようです。当然だと思いますけど。)
語り手の「余」は著者のボンゼルス本人です。
ドイツ人で詩人で「蜜蜂マアヤ」の作者。この「はしがき」が書かれた昭和18年には63歳でした。ということは1943年に63歳だから、1880年に生まれたということになります。先日のヘッセとだいたい同じ頃です。日本は西南の役で、インドでは「ヴィクトリア、インド皇帝の称をとる」。イギリス人が残虐非道な(見たわけではありませんけど)インド統治をしていた頃です。
「余」は(理由は一切書かれていませんが)インドに住むことになり、それまでイギリス人将校が借りていた家・・・植物が部屋の中まで生い茂り、ネズミその他の様々な動物がすでに住み着いている家・・・を借り受けます。(家主はドイツという国があることを知りませんでした。)
そして「余」はジャングルを旅行したり、インドの独立運動の活動家に出会ったりするのですが、景色や人や「余」の内面の描写がホントにおもしろい~!です。
一例をどうぞ・・・
だからこそ海は、決して人間の魂との近似性をもたない。海をも人間の魂をも知らぬ多くの人たち、そして魂の中に何か底知れぬものがありさうだといふ、単にそれだけの理由で、魂はおそらく大洋の沖合ほど深いだらうと考へるに至つた多くの人たちは、この近似性を確認したのだが、これは容易に証明できぬ軽率な推論であつて、かかる魂と海とのただ一つ似ている点は、両者の中でよく吾々はあちこちと釣をして、何の獲物もないといふことだけである。
次は召使のインド人パアニヤ(20代の青年らしい)との会話です。ボンゼルスはしょっちゅう夜遊びをしているパアニヤに結婚することを勧めています。
(ボンゼルス)・・・しかしあるきまつた女がまっている場合でないと、心がきつと籠の鳥のやうな気持ちになる、といふこともないとは限らないよ。」
パアニヤはぢつと考え込んでいた。「そりやないとも限りませんとも、旦那様。でもそんなのはひとしきりですよ。」
「その代わりに何か別のものが来るんだらう。」
「何が来るとおつしやるのですか、旦那様。」
「息子か何かがね。」
「おやおや。」とパアニヤはまごついて云つた。「いきなり最悪の場合を考える人があるものですか・・・
(パアニヤ)「女はようするにみんなばかだといふことに、一度もお気付きになつたことがないのですか。それはね、虎を見ても鼠を見ても同じやうにこわがるのを見れば、すぐに分かりますよ。何しろこの二つの動物の区別さへ付かないのですからね。だから女にはいろんな男の区別もつかないわけで・・・
(パアニヤ)「・・・しかしこつちが、利口な人ならみんな感心しそうな、気の利いたことを云ふと、そんなことはすぐに忘れてしまひます。そのわけはそれを髪に挿すことができないからにすぎません。」
・・・さて、引用はこのくらいにして、読書のほうを再開することにします。
インド人活動家が「余」の家を訪ねて来る場面です。
2010年1月11日月曜日
2010年1月6日水曜日
考えるとヒト・・・か
4日のニッケイに載っていた小さな記事がちょっと面白いと思いました。
「米映画”出演”の阪大教授 分身ロボ 将来は普及」「『考えるのが人間』強調」
こんな見出しです。
「分身ロボット」というのは遠隔操作で人に代わって仕事や戦争をするヒト型ロボットで、所有者にそっくりに作られるのだそうです。見出しの阪大教授(石黒氏)はすでにそういうロボットの研究をしていて、ハリウッド映画の中で実際の研究風景が使われたということでした。
映画の題名は「サロゲート」で主演はブルース・ウィリス。
この映画、石黒教授には「こんなに短絡的ではないはず」と言われてしまっていますけど、短絡的でないとハリウッド映画にはならないですからね。
少し引用します。
「本当に予測している未来を描いたら、現在の人間は不安になり受け入れられない」
「新技術は人間とは何かという問いに新しい答えを持ってくる」
「分身ロボットの出現で自分の存在すら疑うような状況がきたら誰でも『どっちが本物』と考える」
「(この考えることこそが)人間の唯一生きる道」
「私は生きたい
ものを想い苦しむために」
と言ったのはプーシキンでしたね~~。「エレジー」でした。
(この詩が演歌になったら・・・、やっぱり森進一かな?意外と他にいそうもないですね。)
「米映画”出演”の阪大教授 分身ロボ 将来は普及」「『考えるのが人間』強調」
こんな見出しです。
「分身ロボット」というのは遠隔操作で人に代わって仕事や戦争をするヒト型ロボットで、所有者にそっくりに作られるのだそうです。見出しの阪大教授(石黒氏)はすでにそういうロボットの研究をしていて、ハリウッド映画の中で実際の研究風景が使われたということでした。
映画の題名は「サロゲート」で主演はブルース・ウィリス。
この映画、石黒教授には「こんなに短絡的ではないはず」と言われてしまっていますけど、短絡的でないとハリウッド映画にはならないですからね。
少し引用します。
「本当に予測している未来を描いたら、現在の人間は不安になり受け入れられない」
「新技術は人間とは何かという問いに新しい答えを持ってくる」
「分身ロボットの出現で自分の存在すら疑うような状況がきたら誰でも『どっちが本物』と考える」
「(この考えることこそが)人間の唯一生きる道」
「私は生きたい
ものを想い苦しむために」
と言ったのはプーシキンでしたね~~。「エレジー」でした。
(この詩が演歌になったら・・・、やっぱり森進一かな?意外と他にいそうもないですね。)
2010年1月5日火曜日
初ブログ
2010年1月です。
新しいブログ、何となく気持ちがいいです。
今までのGOOのブログは、うっかりして料金切れにしてしまって、使えなくなってしまいましたので、ついでに気分一新しようと思ってbloggerに移ってみました。
画面構成はこちらのほうがオトナっぽいですね。説明を読んだ限りでは、編集機能もかなり高性能のようですので、あとは使いこなせるかどうかです。
さて、近頃あまり書くことがない感じだったのに、GOOのブログが使えなくなったのと同時に、面白い本が何冊か見つかってしまって、やっぱりあれこれ言いたいなと思ったのも、新しいブログを始めることにした動機です。
その本というのは、まず最初がヘッセの「メルヒェン」。
今どきヘッセって読む人がいるのかなと思いつつ、「これは読んでないな」と思って買ってみたら大当たりでした。
翻訳は高橋健二。1998年、12年前に亡くなられています。
原作者のヘッセは1962年に85歳で亡くなっていますので1877年生まれということになります。1877年は、「エジソン蓄音機発明」「インド帝国成立、英女王ヴィクトリア、インド皇帝を称す」「西南の役」・・・。ずいぶん昔ですね。
「メルヒェン」は子供に読ませるために書かれたものではなく普通の短編集です。昔話風なのや長い詩のようなものなど、どれをとっても美し~い♪素直に、落ち込まずに、内省的になれます。クリスマス前後に読んで、気分がピッタリでした。ちょっと一休みしていろいろ「ものを想って」みたい時にお勧めです。
お次は中井英夫の「幻想博物館」。
中井英夫って何となく澁澤龍彦の子分のように思っていて、読んだことがありませんでしたけど、読んでみたら「澁澤龍彦より小説うまい!」です。すぐにデビュー作の「虚無への供物」をアマゾンで買ってしまいました。題名もいいですよね~。
お勧めです。ぜったい楽しめると思います。構成がしっかりしていて、アイデアがあって、ごまかしがない・・・という感じです。「結局雰囲気だけ」という感じがしないのは、きっと寡作な人だったからだろうなと思います。
そしてイチオシはドイツの詩人で「みつばちマーヤ」の作者ワルデマアル・ボンゼルスの「インド紀行」です。これは最高。
あとで感想文を書きます。
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